嶋村 みずばしょう園

岡山県新見市哲多町引無(ひきなし)の集落にかつての賑わいを取り戻すため、
3000株のみずばしょうと、200本のさくらを植えました。

みずばしょうは無事でした。

 
4月はロンドンマラソン参加などがあって、忙しくて帰省できなかったのですが、5月19日に帰省して、みずばしょうの状況を見ました。今年1月中旬の草刈りで新芽を刈りとばしてしまって、枯れたと思っていた、みずばしょうは全株無事でした。
成長は1か月ほど遅れていますが(例年より葉が小ぶりです。)、株の脇から新芽が出たらしく、枯れてしまった株はないように思いました。
その様子が下の写真です。
来春は期待がもてそうです。 

(2024年5月21日記)

ご来園くださった方へ

ご来園くださった方は、入口、出口の木戸を必ずお閉めください

イノシシが入り込み、湿原で暴れまわるのを防ぐためです。
園は、トタン板で囲っていますが、これはイノシシ対策のためです。

ロンドンマラソン参戦記

 

1.病気との戦い

私はこれまで、第1回の東京マラソン(2007年2月)を皮切りに、ベルリンマラソン(2011年9月)、シカゴマラソン(2012年10月)、ボストンマラソン(2013年4月)、ニューヨークマラソン(2013年11月 )に参加し、世界6大マラソンに挑戦してきました。
 しかし、ボストンマラソンは、テロに遭い、ゴールまであと500mというところで大会が中止になり、完走はできませんでした。
 このため、翌年の4月、再度ボストンに挑戦することにしました。
 しかし、あと1か月でボストンに向けて成田空港を出発するというとき、急に右脚の股関節が痛くなり、長距離を走ることが難しくなりました。この時、股関節をレントゲン撮影しても、問題はなく、病気の原因はよく分からず、病名もハッキリしませんでした。
 ロンドンマラソンはこの時から1年後です。1年間あれば、病気は十分治るだろうと高をくくっていました。しかし、1年後に病気が治ることはなく、エントリーしていたロンドンマラソンを、やむなくキャンセルしました。
 今から9年前の2015年4月の大会です。
 このころになると、病名もハッキリ分かっていました。
「脊柱管狭窄症」でした。70歳を過ぎると、多くの人がこの病気になります。この病気の本はたくさん出版されていて、いろいろな治療方法がありますが、根本的に治すには手術以外にはないように思います。しかし、手術が失敗すれば、車イス生活になると言われています。
私は、手術すべきかどうか、4年間悩みましたが、4年目の終わりごろには200m歩くのも困難になり、思い切って手術に踏み切りました。市内大手病院に、この手術の名医がおられたからです。12日間入院しました。2018年7月のことです。
 2年間ぐらい走ることができませんでしたが、3年目ぐらいから少しずつ走るようにし、走る距離と回数を少しずつ伸ばし、フルマラソンに挑戦できるところまで回復し、2022年11月の「おかやまマラソン」に出場しました。練習があまりできていないので、歩いたり、走ったりしながら、奇跡的に6時間制限のところを、5時間58分52秒でゴールしました。
 脊柱管狭窄症を患っていても、フルマラソンを完走できるがことが、証明できたのです。
 なお、私は病気中であっても、心肺機能は衰えないようにする必要があると思って、岡山市内牧石小学校付近から金山寺の門までの2.5kmの坂道を、自転車で上がっていました。足で走ることは困難でも、自転車に乗るのは問題がなかったのです。月に4回ほどの練習でした。

2.ロンドンマラソンのエントリー

 「おかやまマラソン2022」を、制限時間内に走ることができたので、ロンドンマラソンへの夢が膨らみました。そこで、昨年(2024年)10月これまでの国際マラソンでお世話になってきた、「クラブツーリズム」に問い合わせると、申し込みは終わっていて、キャンセル待ちしかないとのこと。2015年のエントリーでお世話になった、日本交通公社(JTB)に聞くと、まだ受付を行っていない、という。
 インターネットで調べていると、(株)パーパスジャパンという会社が、ロンドンマラソンの予約受付を行っていることが分かりました。このため、今回のロンドンマラソンは、(株)パーパスジャパンにお世話になりました。
 なお、後にJTBも抽選で当たりましたが、(株)パーパスジャパンの方が先に参加が確定したので、JTBを断りました。
 ロンドンへの道のりは、困難な、かなり遠い道のりでしたが、夢を持ち続け病気と闘ったら実現できたのです。
 今回のツアー一行は、添乗員さん1名とランナー23名でした。私よりはるかに若い人ばかりでした。
 

3.ロンドンを走る

 4月21日(日)いよいよロンドンの街を走る日です。午前4時半に起床。昨夜は気分が高揚して、眠れないと思って、近所のかかりつけ医から睡眠薬1錠をもらっていましたが、服用することはありませんでした。午後9時ごろベッドに入るとすぐに眠ってしまいました。来るとき、飛行機の中で、あまり眠れていなかったことが原因でしょう。
 午前5時半、ホテルの食堂にて食事。午前6時からご飯とみそ汁が出ることになっていたそうですが、ランナーはそれを待つことなく、みんな5時半から食事をとっていました。
 私がこれまでに経験したツアーでは、朝食は添乗員さんが近くの日本レストランに依頼して作ってもらった、おむすび弁当と果物でしたが、今回のツアーではホテルの食堂でのちゃんとした食事でした。
 午前6時半過ぎに、バスでスタート地点に向かって出発しました。
 7時ごろ、スタート地点に到着。天気は晴れ、非常に寒く、気温は6~7℃だろうと思いました。
スタートは11時。それまでに4時間もあります。寒い戸外で震えながら4時間も待つことは耐えられません。そこは、ツアー会社の方でよく配慮されていてスタート地点近くのホテルの3部屋を、我々ランナー23名のために、確保してくださっていました。これは、大いに助かりました。
ここで、日の丸の旗を前に、添乗員さん、ガイドさんを含むランナー23名全員の集合写真を撮りました。
10時10分ごろ、待機しているホテルを出て、スタート地点に向かいました。スタート地点では、防寒対策で着ていたウィンドブレーカーなどの荷物を預けます。荷物は大型のトラックに積み込むのですが、ゼッケンにトラックのナンバーが記入されていて、そのナンバーのトラックに預けます。私の場合は33番でした。
ロンドンマラソンは、非常に珍しい方法ですが、スタート区域が3つに分かれています(細かくいうと5つ)。レッドスタート、グリーンスタート、ブルースタートです。レッドスタートは大部分の一般参加者用の区域、グリーンスタートは主に有名人参加者用の区域、ブルースタートは主に競技選手、車いす選手用の区域です。3つのコースは、数キロ先で合流します。私はブルーの区域で、ウェーブが17番でした。
17番ウェーブのゲートを通るときは、係員のチェックを受けました。
スタート時に、ピストルが鳴ったのかどうか、後ろの方ではわかりません。道路を埋め尽くす長い列が、次第にぞろぞろと前に進み出すので、あぁースタートしたんだな、ということが分かります。
 スタート地点を通過するとき、時計を見ると11時でした。
 私は、ランニングの途中で股関節が痛くならないか、心配でした。脊柱管狭窄症の手術をしてくださった先生に相談すると、痛み止めの薬を出すから、走る前に飲んでおくとよいとの助言をいただきました。このため、スタートの1時間前とハーフの地点(14時ごろ)で、薬を各1錠飲みました。おかげで、股関節が痛くなって、走れないということはありませんでした。
 練習中は、フクラハギがだるくなって、走りにくくなることがよくあったのですが、フクラハギサポーターを付けていたせいか、ロンドンではそういうことはありませんでした。
 ロンドンでは、最初から最後まで、沿道の応援が激しく、笛や太鼓などの鳴り物でランナーを大いに鼓舞してくれます。予約して、ゼッケンに名前を入れてもらうと、名前を上げて応援してくれるということで、我々のメンバーの中には、ゼッケンに名前を入れてもらっている人もいました。
ベルリンでは、予約しなくても全員のゼッケンに名前が入れられているので本当に名前で応援してくれる人もいました。私は、ドイツ人女性から、「ミノル、頑張れ!」と応援を受けました。ロンドンでは、名前を入れていませんでした。
 ニューヨークの応援もすごいのですが、ロンドンのように沿道に切れ目なくという訳ではありません。ブルックリンのユダヤ人街を走るときは、応援はありません。まったく無関心です。マラソン大会など、我々の生活となんの関係もないというような調子です。
 10kmぐらいまでは、4時間半でゴールできるペースランナーに付いて行っていましたが、だんだんとスピードが落ちてきて、22マイル(35.40km)地点では、6時間でゴールできるペースランナーを追っていました。
 この地点で、添乗員の伊藤さんが私に追いつきました。伊藤さんと少しだけ並走しましたが、私には、このペースを維持するのは無理なので、伊藤さんには先に行ってもらいました。
 ロンドンマラソンの制限時間は8時間です。後2時間もあるのだから、無理をすることはない、怪我をしないでゴールすることが大切だと考えて、後の7kmは、歩いたり、走ったりを繰り返しました。
 私ぐらいの遅いタイムになると、半分くらいのランナーが歩いており、全然恥ずかしくありません。
 左手に「ロンドン・アイ」が見えます。そして、間もなくビッグ・ベンの曲がり角。最も声援が盛り上がるところです。
 バッキンガム宮殿方面に向かって一直線のセント・ジェームズ・パーク内の道路は、緑のトンネルの中を走ります。道は広く、ランナーも混雑することは、まったくありません。最期のランニングを楽しめる場所です。
 コースは右に折れて、黄金の天使像・クイーン・ヴィクトリア記念塔の右を走り、間もなくゴール。
 ゴールゲートを通過すると、メダルを持った女性が待ってくれていて、メダルを首にかけながら「コングラチュレーションズ」と言ってくれます。
 ゴールすると、ベルリンやシカゴでは、プラスチックのコップいっぱいに入ったビールが提供されますが、ここではありません。ペットボトルの水とオレンジジュースをもらいました。寒さよけのポンチョを配っていましたが、私は預けたウインドブレーカーを受け取るのでもらいませんでした。
 私がゴールしたのは、午後5時40分でした。23日に、メールで送られてきた公式タイムは、6時間37分55秒でした。これまで走った中で、一番遅い記録です。
マラソンランナーは、ゼッケンを見せると地下鉄にタダで乗れます。私はウエストミンスター駅からホテル近くのカリーナ・ウォーフ駅まで、タダで帰りました。乗車駅で胸のゼッケンを見せると、駅員が手持ちのパスカードを黄色のタッチパネルに触れます。するとゲートが開くのです。到着駅でも同じことをします。
夜7時ごろ、無事ホテルに帰りました。
 

4.ロンドンマラソン後記

病気をしなかったら、9年前に達成できたものをやっと達成できました。
病気をしながらも、工夫をしつつ練習してきたので、なんとかそれが実りました。
私は世界6大マラソンを全部走りましたが、東京は世界6大に入る前の第1回目だったし、ボストンはメダルを持っていますが、ゴールしていないので、正式には完走メダルでありません。
ボストンをもう一度走るとなると、75歳から79歳までは、タイム4時間半以内の公式記録を持っていないと参加資格がありません。
78歳という年齢でも、4時間半のタイムは、練習次第でなんとかなりそうですが、私の場合、練習をし過ぎると、脊柱管狭窄症の病気が出てきて、股関節が痛くなるので難しい状況です。
夢だけで終わるかもしれませんが、東京とボストンをもう一度走るという、夢を追い続けようと思っています。
ところで、ベルリン(バナナが出る。)を除いて、外国のマランソンでは、エイドステーション(給水所)では、水か、スポーツドリンクだけで、食べ物は出ません。今回は1か所、バナナで出たところがありました。
しかし、食べ物には困りません。沿道の応援の人たちが、グミ、チョコレート、バナナ、ブドウ、オレンジなどをくれるからです。私は、ボストンを走ったとき、10歳くらいの少女から、切ったオレンジをもらいました。しかし、その時はお返しの品を用意していませんでした。
今回は、ボストンのことを記憶していたので、家内に掌に乗るぐらいの小さな折り鶴を20羽折ってもらって、それに私のゼッケン番号を書いて、ランニングパンツのポケットに入れて走りました。
グミなどをくれた少年少女に、「ありがとう。ハッピーバードをどうぞ」と言って、折り鶴を掌に載せたら、たいそう喜んでくれました。そばにいた両親が特に喜んでくれました。
ゆっくり走ったせいか、足の受けたダメージは軽く、翌日(4月22日)はウエストミンスター駅からバッキンガム宮殿を経由して、大英博物館まで1時間ほどの距離を歩くことができました。
 

(おわり) (令和6年5月15日記)


お知らせとお詫び 

「嶋村みずばしょう園」から、残念なお知らせです。
この季節(3月17日現在)、通常ならたくさんの白いみずばしょうの花が咲き始めているのですが、今年はほとんど咲いていません。

 原因は、いつもなら8月下旬に行う、みずばしょう園の草刈りを、今年の1月中旬にしたことです。
その時は、3~5cmぐらいのみずばしょうの青い芽がたくさん伸びていました。
私は、それを草と一緒に刈ってしまったのです。青い芽の切り口は、ネギの切り口のようで、その時は、芯の部分が大きくなる、と思いました。
しかし、そうはならず、腐って枯れてしまいました。おそらく根まで腐ってしまった、と思われます。

私は、一般的に野生植物は強いので、みずばしょうも強く、出かけた頭を切っても大丈夫だ、と思いました。

ところが、みずばしょうは、非常にか弱く、繊細な植物だったのです。
いくらか、生き残ったみずばしょうもありますが、その広がりを園の面積と比較すると、非常に僅かです。
1月ほど様子をみないと、どれだけ生き残ったかは、分かりません。
本年も来園を予定してくださっている方々に、深くお詫び申し上げます。

誠に申し訳ございません。

今後については、1か月ぐらいして、生き残ったみずばしょうがどれぐらいあるか、を見て考えよう、と思っています。

その様子は、このHPで随時お知らせいたします。

まだ、諦めているわけではありません。今後ともよろしくお願いいたします。

 令和6年3月17日 園主 嶋村 稔

令和6年3月17日の写真です。

 

まったく、みずばしょうは咲いていません。

 今後も咲きそうにありません。 

嶋村みずばしょう園

  嶋村みずばしょう園は、新見市営すずらんの園の北隣に位置する、私設の公園です。標高は550m。約10アール(1反)の湿原に、3,000株の苗を植え、人工的に造った、ミズバショウを主体とした公園です。

 毎年3月25日ごろから4月10日ごろまでが見ごろで、純白の苞をまとう清楚で愛らしい姿は、県北の春を告げるのにふさわしい花と言えます。

 5月下旬から6月上旬、ホウノキの葉に似た大きな葉が茂り、湿原を緑一色に覆いつくす時も見ものです。


  



5月上旬は、リュウキンカが咲きます。

令和5年5月4日現在のみずばしょう園

令和5年は、桜が1週間ほど早く咲き、3月30日から4月5日ぐらいまでが満開でした。

休憩所

休憩所が令和5年3月21日完成

休憩所

令和5年3月21日(春分の日)に竣工しました。駐車場のそばにあります。
自由に利用してください。
大きさは2間×1間半=3坪です。

みずばしょう

今がちょうど見ごろです。4月10日ごろまで咲いています。

ザゼンソウ

3月の初めから咲いています。
花は、もう終わりです。

嶋村みずばしょう園の由来

 

  嶋村家には、かつては広い湿原があり(現在は、その大部分が新見市営・すずらんの園<おもつぼ湿原>になっています。)、昭和40年代には、ミズゴケを乾燥させて梱包し、それを岡山市の造園業者・葉好園に売っていました。 


  昭和41年ごろ、葉好園からミズバショウの株を1株いただき、湿原に植えました。しかし、ミズバショウの実の発芽率は極めて低く、約50年たっても20株ほどにしか、増えませんでした。そこで、平成25年(2013)5月、盛岡市の園芸店から40株購入しました。それをきっかけに、藪を切り払い、毎年株数を増やし、現在では3,000株植えています。
 
  このようなことを思い立ったのは、かつては12戸あった引無(ひきなし)の集落も、現在では6戸になり限界集落になっているからです。
 
  短い期間ではありますが、ミズバショウを植えることにより、かつての賑わいを取り戻したい、と考えました。 

  園の周囲約200メートルを、トタン板で囲っていますが、これはイノシシの 
進入を防ぐためです。イノシシがミズバショウの根を食うわけではありませんが、体についたダニを落とすために、湿原で暴れまわりミズバショウの根を傷めるのです。
 
 ご来園くださった方は、入口、出口の木戸を、必ずお閉めくださるよう、お願いいたします。

  

※ ミズバショウの苗は、3,000株植えていますが、ミズバショウの花が咲くまでには、5年程かかります。したがって、現在咲いているのは、従来からあった株と初期に植えた株で、全株数の1割ぐらいです。最近植えた株は小さく、まだ花が咲いていません。 

 

※※ 園には1株だけ、ザゼンソウがあり、3月の初めに1輪だけ咲きます。ザゼンソウは植えてから約50年経ち、毎年花を咲かせ、実がつきますが、増えることは全くありません。50年間1株だけです。それは、周りにミズバショウがあり、ミズバショウがバリアーを張って、ザゼンソウの増えるのを邪魔しているからです。
  

  • これは、アレロパシー現象(作用)というもので、ある植物が他の植物の生長を抑える物質(アレロケミカル)を放出して、自分だけが繁茂する現象をいいます。他に、セイタカアワダチソウやヨモギも同じような性質を持っています。 




ひきなしさくら園

  

  引無地区の賑わいを取り戻すこと、旧哲多町内には、桜の名所がないため、桜の名所を造ることを目標に、平成28年(2016)年4月、引無地区に住む者や引無地区出身で地区外に住む者13人で、「引無古里再生プロジェクト」と銘打ち、チームを結成し、嶋村家とチームのメンバーの土地に、ソメイヨシノの苗木30本を植えました。その後、毎年本数を増やし、現在では約1ヘクタール(1町)の土地に、ソメイヨシノ200本を植えています。それが、みずばしょう園の東側に位置する、「ひきなしさくら園」です。 

年1回チームのメンバーで下草を刈っています。 

 苗木を植えて、最長のもので、6年しかたっていないので、まだ園を白一色に染めるというような派手さはありませんが、4月10日過ぎには、東西に走る市道の両側(約200m)に美しい桜が見られます。 




 



おかやまマラソン記

 
令和4年11月13日に開催された「おかやまマラソン2022」を完走しましたので、報告します。

○ おかやまマラソン参加前の状況について
  第1回おかやまマラソンは、平成27年11月8日(日)に開催されましたが、この時は、脊柱管狭窄症という病気を患っていたため、ランナーとしてではなく、ボランティアとして参加しました。後楽園の南端東側の市道で、ランナーを応援しながら沿道整理にあたりました。

  脊柱管狭窄症の症状は、平成26年3月20日に現れ、以後ほとんど走れなくなりました。このため、1か月後の4月21日に開催された、私にとって二度目のボストンマラソンにエントリーしていましたが、キャンセルせざるを得ませんでした。
  前年の4月15日に開催された、同マラソンでテロに遭って、ゴールまであと500mというところで、大会が中止になったのでした。

  200m歩くのも困難になり、平成30年7月6日、西日本豪雨のあった日の午後、思い切って脊柱管狭窄症の手術を受けました。手術は成功。しかし、手術後2年間は、重い物が持てず、走ることもほとんどできませんでした。
  術後2年経ったころ、一度に10~20km走れるまで、体は回復しました。

  今年は、おかやまマラソンに挑戦することで、正月から練習を開始。できるだけ1度に20km、少なくとも10km走るようにしました。
  しかし、練習をし過ぎて、10月10日以降、本番まで1kmも走れなくなりました。脊柱管狭窄症が再発したのです。1か月間、まったく練習をせずに、大会に臨んだ結果が次のとおりです。

○ おかやまマラソン当日の記
以下の文章は、令和4年11月19日の山陽新聞のちまた欄に掲載された投稿文の原稿です。これをもって、マラソン当日の報告とします。
 

奇跡的に際どくゴールイン

  おかやまマラソンに参加し、おかげさまで完走しました。何か奇跡的に完走したように思います。高齢であること、病気のため9年間一度もフルマラソンを走っていないこと、脊柱管狭窄症という病気であることから、フルを走り抜くことは不可能だと思っていました。おまけに練習をし過ぎて股関節を傷め、10月10日以降1キロも走れず、ぶっつけ本番で参加しました。
  案の定、9キロあたりで膝やふくらはぎが痛みだし、以後歩いたり走ったりの繰り返し。折り返し地点あたりで棄権するしかない、と思っていました。歩いたり、走ったりで、中間点に到達した自己計測タイムは3時間1分。あとの半分を3時間以内で走れば、6時間を切れると考えました。
  そこで、傾斜のある橋以外は、足が痛いのを我慢して、歩くのをやめ、スローペースで走り続けました。
 フィニッシュタイムは、5時間58分52秒。きわどいゴールインで、めでたく備前焼のメダルをゲットできました。

令和4年 9月13日 
昨日と今日、みずばしょう園の草刈りをしました。湿原なので、長靴だけで入ると深く足が沈んで抜けなくなります。畳一畳分より少し小さいトタン板を2枚利用して、その上に乗って刈りました。
草刈りをしないと、来年春にみずばしょうの花が目立ちません。

草刈り前の光景です。

草刈り前の光景です。

草刈り後の光景です。

シラヒゲソウが、咲きました。

令和4年7月24日

プロジェクトチームのメンバーが桜園の下草を刈ってくれました。

プロジェクトチームのメンバーで引無地区の中を走る市道の両側の草刈りをしました。

プロジェクトチームのメンバー

サワギボシが咲きました。

2022年6月2日 
ホウノキの葉によく似た大きな葉が茂っています。恐竜の生きた時代の湿地のようです。

2022年4月11日 ソメイヨシノが満開です。4月15日頃までが見頃です。

4月11日 ミズバショウのシーズンが終わりました。今年は、3月20日から4月5日までが見頃でした。 

2022年3月27日  駐車場を広げました。

2022年3月20日 
ザゼンソウが咲きました。

2022年3月20日 ミズバショウが咲き始めました。

開花時期の嶋村みずばしょう園

公園の所在地 

岡山県新見市哲多町田淵1485番地-2

チームリーダー 

 嶋村 稔(岡山市在住)

電話  090-5692-5538


園主・嶋村稔のマラソン情報

 私の趣味はマラソンです。
 
 50歳代で風邪をよく引くようになり、一度風邪を引くと、慢性気管支炎があって、咳が4か月も続くのに困り果てていました。何か風邪を引かない、よい方法はないものか、と悩んでいる中で、思いついたのがジョギングです。54歳の時でした。
 そのジョギングを始めて2年目で、ハーフマラソンに挑戦し、3年目でフルマラソンを完走するまでになりました。

 今年(令和4年)の11月13日(日)に開催される「おかやまマラソン」に申し込みをしたら、抽選に当たりました。しかし、制限時間内に完走できるのか、不安があります。
 
 私は、10年程前に世界6大マラソンを目指していました。ベルリン、シカゴ、ニューヨークの完走メダルを持っています。東京も世界6大になる前ですが、走りました。
 ボストンは、テロであと500mを残して、ゴールできませんでした。
 ボストンはテロの翌春(平成26年4月)、再挑戦しようとエントリーしたのですが、大会の1か月前に走れなくなり、キャンセルしました。脊柱管狭窄症という病気になったのです。
 
 その病気を患い、4年が経過したころ、200mの歩行も困難になり、思い切って手術を受けました。術後4年が経過しました。最近やっと、3時間かけて20km走れるところまで回復しましたが、フルマラソンは9年程前にニューヨークを走ったのが最後で、以来一度もフルを走ったことがありません。歳も世界6大を目指したころは、65歳でしたが、今はすでに76歳(おかやまマラソン当日は77歳)です。
 奇跡でも起きない限り、制限時間内の完走は難しいように思われます。
 僅かな可能性を目指して、現在、月に70km程度走ることを目標に、練習をしています。
 
 主な大会の記録は、次のとおりです。

| № | 大 会 名 | 開催年月日 | タイム | 備 考
| 1 | 東京マラソン | 平成19年2月18日 | 4時間34分00秒 | 有森裕子さんのラストラン
| 2 | ベルリンマラソン | 平成23年9月25日 | 4時間10分43秒 | 
| 3 | シカゴマラソン | 平成24年10月7日 | 4時間13分57秒 | 
| 4 | ボストンマラソン | 平成25年4月15日 | (予想タイム) 4時間12分52秒 | ゴールまであと500mのところで大会中止
| 5 | ニューヨークマラソン | 平成25年11月3日 | 4時間42分55秒 | ニューヨークの街を楽しみながら走ったので、タイムは悪かった。
| 6 | ロンドンマラソン | 平成27年4月26日 | 大会1か月前にキャンセル | 病気のため